彼との出会いは突然で、しかも一瞬だった。 その一瞬で私は唇どころか心まで奪われた。 そのままの意味だ 私の部屋に無理やり押し入り、私を押し倒した。 男はこのアパートの大家の息子で、働きもしないろくでなしだ。 自分ではギャングにも顔が利くと騒いでいるらしいが、どこまで本気かわからない。 その男が今、私の部屋の中にいる。 私に馬乗りになり、首に手を伸ばした。 「まだ間に合うぞ。 一言許してくださいと言ったら許してやる」 男が私を見下ろしながら言った。 こんな目をする男を私は他にも知っている。 その男から逃れる為に一人暮らしを始めたのに、まさかこんなことになろうとは。 私は無言で睨みつけ手足をばたばたと動かした。 「そんな事をしても無駄だ。 お前はオレのものになるんだよっ!」 前々からこの男は私に対し、そんなことを言っていた。 「お前はオレの女だ」 それを私は常に無視していた。 今日も私が帰ると、部屋のドアの前にこの男がいた。 いつも通り無視を決め込んで部屋に入ろうとした瞬間、この男まで無理やり入ってきた。 何とか抵抗してみたが、力では敵わない。 大声を上げようとしたところ、片手で口を塞がれた。 「大丈夫だって」 男が私の服に手をかける。 「ん、んんっ」 私は両手で服を脱がせようとする男の手を押さえようとするが、すぐに払いのけられる。 また私は押さえようとし、また払われる。 頬に鋭い痛みを感じた。 叩かれたのだ。 「優しくするとすぐにツケ上がりやがって」 痛みと共に体から力が抜けた。 抵抗しなくてはと思うのに、無駄だという気もした。 ただ涙だけが出てきた。 「そうそう、大人しくしていればいいんだよ」 男にされるがまま、上半身が露わになる。 そこで私の力が戻ってきた。 手で胸を隠し、また体をよじって抵抗する。 「いい加減に・・・」 「そりゃ、てめぇの方だ」 いつの間にか男の後ろに、誰かが立っていた。 部屋に人が入った気配なんてわからなかった。 『彼』が男の首を後ろから押さえつけ、静かに言った。 「ザ・グレイトフル・デッド」 すると男はみるみる内に年をとり、しわしわの老人になっていた。 まさかそんなことが。 私はこの光景に声も出ない。 「な、何しやが・・・ぐ、ぐぅっ」 男だった老人は胸を押さえ、横に倒れこんだ。 「もうジィさんなんだから、そんな興奮すると心臓が止まるぜ? もう止まったみてぇだがな」 そう言うと彼はスーツのポケットから携帯を取り出し、どこかにかけたようだった。 「終わったぜ。 ああ、すぐ戻る」 呆然とその光景を見ているしかなかった。 「お楽しみのところ邪魔したな」 彼はドアノブへと手を伸ばした。 「あ、あの・・・」 怖い。 この人は人を殺したのだ。 でもそのおかげで私は助かった。 私は混乱していた。 だが、どうしてか彼に声をかけずにいられなかった。 「ああ?」 「こ、この人は・・・」 「心臓発作だ。 若ぇのに運がなかったな」 「でも・・・」 私が尚も言い募ると彼は顎に手をやり、考えるポーズをとった。 「目撃者をどうするか指示がなかったが・・・どうするかな」 ぎくり。 途端に背筋に冷たいものを感じた。 男に組み敷かれていた時とは別な恐怖が襲ってくる。 彼は私を見下ろした。 「お前は何も見てねぇ」 「私は・・・」 「何も見てねぇ」 「見ていない・・・」 「ああ」 私は頷いた。 そうだ、何も見ていない。 あの男は心臓を抑えて倒れたんだ。 先ほど急に老人になったと思ったのも気のせいだ。 その証拠に今は元に戻っていた。 そう思った時。 「一応、口止めしておくか」 そんな声が降ってきた。 そして私の唇が塞がれた。 「んっ」 怖いと思ったが、それは優しかった。 初めて会った男性に、しかも人を殺したと思われる男にキスをされているというのに。 どちらかと言えば、男性には触られるのでさえも抵抗のある自分なのに。 不思議な事に彼に抵抗する気が起きず、ただそのキスを受け続けた。 「口止め料だ。 釣りはいらねえ」 「口止め・・・?」 「そのままの意味だ」 彼は笑って出て行った。 その笑顔は綺麗だった。 その後のことはよく覚えていない。 確か救急を呼んだ。 男は運ばれ、私も事情を聞かれたが部屋に入った途端に倒れたとしか言わなかった。 それ以上は聞かれなかった。 それよりも。 彼は誰なのだろう。 名前は? どこに住んでいるの? どうしてあの時私の部屋に来たの? 彼のことが気になって仕方がなかった。 これは危険なことだとわかっていながら。 私はあの『彼』を探し始めた。 |
完了:2014/7/10 |