「今日でちょうど一週間か」 部活が終わり、マネージャーの日誌を出しに先生のいる職員室に行った。 そこで先生がぺらぺらと日誌を見ながら言ったのだ。 「そうですね、一週間なんてあっと言う間でした」 私もこの一週間を思い出しながら頷いた。 田岡先生に言われて入ったバスケ部だったけど、私に今までにない充実感を与えてくれている。 catch & release 一週間。 「どうだ? 大変なことはないか?」 田岡先生は時々私にこう聞いてくる。 多分自分で部活に入れた手前、気を遣ってくれてるのだと思う。 「今のところは特にないです」 実際、バスケのことは何も知らぬままマネージャーになったのだから、覚えなければならないことはたくさんあった。 それに男子の中で女子が私一人というのも最初は緊張していたけど、すぐに慣れた。 先生はもちろん、部員の皆も優しくて、だからはっきり言って大変なことなどないに等しい。 むしろ楽しいことの方が多いかもしれない。 そもそも皆とはクラスも違っていたので、知り合いが一気に増えた感じだ。 廊下で挨拶したり、学食で会ったりしたりすると何となく楽しい。 帰りも同じ方向に帰る子達と一緒だから、遅くなっても怖い事はない。 もちろん、元々家の手伝いの為部活に参加していなかった訳だから、家に帰ればそれなりにやることが溜まっているので大変は大変だけど。 でも今は先生に感謝している。 「そうか、それならいいんだが」 そう言って、でも先生は何やら考えているようだ。 「仙道の事をどう思う?」 「えっ!?」 突如鼓動が跳ね上がる。 私は彼のことはあまり考えないようにしている。 マネージャーとキャプテン。 それだけでそれ以上でもそれ以下でもない。 避けたりはしないし、挨拶もする。 サボっている彼を見つけて、部活に戻るまでの間話もする。 ただ出来るだけ近づかないようにとは思っている。 難しいけど、なるべく彼を見ないようにもしている。 そうでないと困る事になると思うからだ。 でもひょっとしたら、そんな私の態度が問題だったのだろうか。 何も言えずに田岡先生の顔を見る。 だけど先生は私を見ていなかった。 ノートの表紙に目を落として何かを考えているようだ。 「・・・先生?」 声をかけると、驚いたように顔を上げた。 「ん、あ、ああ。 すまない、少し考え事をしてしまった」 いつもの先生とちょっと違う。 「仙道君がどうしたんですか?」 何かあったのだろうか。 すると先生は少し迷って、それから話し出した。 「アイツのサボり癖がな。 それさえなければ最高のキャプテンなんだがなぁ」 仙道君のサボり癖は相変わらずで、サボりというよりは遅刻が多いのだけど。 先生はあまり怒らないけど(一喝するくらいで)、でも実際は結構頭が痛い問題なんだ。 私の第一の仕事もキャプテンを探して捕まえる事だし。 「能力的にも、精神的にもキャプテンとして申し分ない。 試合以外でも周りをよく見てるし、部員達の信望も厚い。 ・・・なんだが全く。仙道は・・・」 そこまで言って大きく溜息を吐いた。 「が迎えに行くようになってから以前よりは少しは早く来るようになったが。 それでも相変わらずだ。 真面目に練習すれば、もっともっと伸びる。 それこそ海南の牧を越えることが出来ると言うのに。 それに仙道の姿を見て周りの部員も自然とついていく。 だからこそ積極的に練習してくれれば・・・」 先生の眉間の皺がどんどんと深くなる。 「あの、前からそうだったんですか? 3年生がいる頃から」 「ああ、よく遅刻はしていたな。 ただまだその時は大きな問題じゃなかったんだ。 だが今はキャプテンなんだ。 それでは他の部員にも影響が及ぶ。 しかもそれが仙道だ。 アイツは人に与える影響が大きすぎる」 確かに、彼は自分がどう思っているかわからないけど、彼の影響は大きい。 特に1年生には彼を尊敬し、彼のようになりたいと思っている子達が多いわけだから、先生がこうして悩むのもわかる気がする。 「キャプテンは仙道しかいない、それはわかってるんだ。 だが、これでは本当にキャプテンを変える事も検討しなけりゃならない」 彼がキャプテンじゃなくなったらどうなるのだろう。 私は彼を捕まえに行かなくてよくなるかもしれない。 そんなことをぼんやりと思った。 「随分と遅くまで残ってたんだな」 私が部室に鞄を取りに戻ると、そこに問題の仙道君がいた。 他の部員はもう帰ったらしい。 彼と私以外誰もいない。 「うん、ちょっと先生と話してて」 さっきまで先生と仙道君の話をしていたので(しかもあまり良い話題ではない)、何となく気まずい。早く帰ろうとバタバタと荷物を取る。 だけど仙道君の方が早かったようで、彼はスポーツバッグを肩にかけるとドアを開けた。 先に帰ってくれるならその方がいい。 そう思っていたのだけど。 彼は壁にかけていた部室の鍵を手に取った。 「鞄持った? 部室鍵かけるから」 「いいよ、私鍵かけるから」 いつも最後の人が部室に鍵をかけ、そして先生に返さなければらならない。 だからそのまま鍵を壁にかけておいてくれるものだと思っていた。 「いや、待ってるよ。 廊下も真っ暗だし」 そう言われ、私は時間稼ぎは諦め鞄を取った。 「お、仙道とか」 薄暗い廊下を歩いていると、前から田岡先生が来た。 「部室の鍵です」 「ああ、預かろう。 、気をつけて帰れよ」 「大丈夫です」 外が真っ暗だからだろう。 確かに今日はいつもよりも遅くなってしまった。 「そうだ、仙道。 を送っていけ」 「えっ!?」 田岡先生のその提案に私は思わず、大きな声をあげてしまった。 「何だか、さん。 嫌そうだね」 仙道君に言われてしまった。 「いえ、そんなことは・・・」 確かにそんな声を出してしまったのだけど、嫌だと言う訳にもいかず否定する。 「でも、私仙道君の家よりもっと遠いし。 私の家の前はまだ明るいから大丈夫だよ」 そう、仙道君の家は学校から徒歩5分。 しかもマンションに一人暮らしだという。 だけど私の家はそこからさらに15分はかかる。 私の家は商店街にあるのだから、家の周りは明るい。 だから全然大丈夫なのだけど。 「俺が送っていきますよ」 と、仙道君は先生に言ってしまった。 「そうだな、その方がいい。 、そうしなさい」 二人に言われたらもう頷くしかない。 どうしてこんなことになってしまったのだろう。 仙道君と二人、暗い道を歩いている。 いつもなら他の部員の皆もいて、たまに他の部活の女子とかも一緒だったりして話をして歩いているうちに仙道君の家の前を通るからそこで彼とは分かれる。 だからいつもは気にならないのだ。仙道君が近くにいても。 今みたいにこんなに長く二人でいることはない。 あるとすればサボっていた彼と部活に向かうまでのほんの僅かな間。 別に話す事がない訳ではない。 バスケの事、部員の事、田岡先生の事。 話は尽きないけれど、でも私はすぐにでも逃げ出したい気持ちが心のどこかにある。 もちろん顔や態度には出さないけれど。 でも仙道君はよく周りを見ている人だった。 先生もよくそう言っていたが、私はその時までよくわかっていなかった。 「さんさ」 「何?」 仙道君は少しだけ言いにくそうに、でもいつもの優しい顔で言った。 「もしかして、俺の事苦手?」 口から心臓が飛び出しそうとはこの事だろう。 立ち止まらずに足が動いていた事だけでも自分を褒めてあげたい。 だけど、やっぱりかなり動揺していたので否定の言葉はすぐには出てこなかった。 「そっか。 ごめんな」 私が何かを言う前に、彼がそう言った。 「な、何で仙道君が謝るの?」 そもそも彼は悪くない。 私が苦手に、いや苦手な訳ではない。 だけどどうしても彼に近づいてはいけないと、私の中の私が警告するのだ。 そして私はその声を無視する事は怖くて出来ない。 「俺が不真面目だから悪いんだよな」 確かに彼はサボったり遅刻したりはするけれど、でも彼が悪いんじゃない。 悪いのは私。 「違うよ、仙道君が悪いんじゃないの。 ・・・私の問題なの」 でももちろん彼はこんな言葉では納得しない。 「でも、ほらどうしてもダメなヤツっているだろ? さんにとってそれが俺なのかと思って」 「ち、違う。違う。 そうじゃないの」 生理的に嫌われていると思ったのだろう。 そんなことある訳がない。 「仙道君のこと嫌いな人なんて、想像つかないよ」 嫉妬する人間は多いかもしれないけど、彼を知って嫌う人間はいないと思う。 サボったり遅刻したりするけれど、でもそれが彼の欠点にはならない。 完璧すぎる彼の唯一の人間らしいところかもしれない。 「だったら何で・・・?」 ぎくりとする。 「何だか聞くのが怖い気もするけど、でもキャプテンとマネージャーだし。 これからも世話になる事多いと思うから、ちゃんと聞いておきたい」 相変わらず彼は優しい。私を責めるようなことも言わないし、そんな態度もしていない。 私はと言えばすごく、ものすごく申し訳なくて情けなかった。 原因なんて一方的で、しかも彼には説明なんてとても出来ない。 怖い。 怖いのは彼ではなく、自分。 自分の気持ちがどうなるのかわかっているから怖くて向き合えない。 「そうじゃないの」 だから嘘を吐く。 「仙道君ってほら、私から見たら『完璧』に見えるから」 彼も自分も納得できるような嘘を。 「だからちょっと敷居が高いって言うか? マネージャーになって一週間の私じゃまだちょっと緊張するの」 彼が騙されるような、騙された振りをしてくれるような。 そんな嘘を吐く。 「あ、ここでいいよ。 うちすぐそこだから」 私は商店街の入り口で仙道君にそう言った。 「ああ、八百屋だっけ?」 「うん、今度買いに来てよ。 安くするよ?」 「ははは、その時はよろしく」 「今日はありがとう」 「いいや、また明日」 彼はあの後「サボりがちなキャプテンだけどね」と笑ってくれた。 騙されたのか、振りなのかわからないけれど。 でも仙道君がそう言ってくれたから。 私はほっとして、思わず涙が出そうになった。 |
完了:2014/7/10 |